大森銀山重要伝統的建造物群保存地区
おおもりぎんざんじゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
島根県大田市大森町
4C8W+P8 大田市、島根県



外観を維持して、個々の家も個性も出しながら町全体が取り組んでる感じが伝わって来ます。平日の朝で静かに散策することが出来ました。

以下はGemini君に教えてもらいました。

歴史的背景

大森銀山は、島根県大田市にある銀山で、16世紀から17世紀にかけて日本を代表する銀山として栄えました。その歴史は古く、14世紀にはすでに採掘が行われていたとされていますが、本格的な開発は1526年に博多の商人・神屋寿禎(かみやじゅてい)が朝鮮半島から新しい製錬技術である「灰吹法(はいふきほう)」を導入してからです。

灰吹法によって効率的な銀の精錬が可能となり、石見銀山は産出量を飛躍的に伸ばしました。最盛期には世界の銀の約3分の1を産出したとも言われ、その豊富な銀は当時の日本の経済を支え、国際貿易においても重要な役割を果たしました。戦国時代には、その富を巡って多くの戦いが繰り広げられ、毛利氏と尼子氏が争奪戦を繰り広げたことでも知られています。

江戸時代に入ると、幕府直轄の天領(てんりょう)となり、代官所が置かれました。銀の産出は徐々に減少しましたが、明治時代まで採掘は続けられました。

大森地区は、その石見銀山の中心地として栄え、代官所が置かれた政治・経済の中心地でした。多くの武家屋敷や町家が立ち並び、鉱山労働者や商人が暮らす活気ある町が形成されました。現在も、その当時の面影を残す町並みが保存されており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

世界遺産になった理由

石見銀山遺跡とその文化的景観が2007年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された主な理由は、以下の点にあります。

  1. 環境に配慮した鉱山運営:
    • 石見銀山は、銀を採掘する際に、当時の最先端技術であった灰吹法を導入しながらも、自然環境の保護に配慮した「持続可能な鉱山」として運営された点が評価されました。
    • 森林伐採を最小限に抑え、採掘跡の緑化にも努めるなど、大規模な開発による環境破壊を避ける努力がなされていました。これは、他の大規模鉱山ではあまり見られない特徴です。
  2. 鉱山と集落、そして港のつながり:
    • 銀を採掘する「銀山地区」、銀山の支配拠点であり人々が暮らした「大森地区」、そして採掘された銀を積み出し、また物資を運び込んだ「港湾地区(鞆ヶ浦、温泉津)」が一体となって、銀生産システムを形成していました。これらの有機的なつながりが、鉱山運営全体の文化的景観として評価されました。
    • これは、単なる鉱山遺跡としてではなく、「銀生産とそれを取り巻く人々の生活や自然との共存」という、より広範な「文化的景観」として認められたことを意味します。
  3. 東アジアにおける国際交流と経済発展への貢献:
    • 石見銀山で産出された銀は、日本の経済を支えただけでなく、中国や朝鮮半島、さらにはポルトガルやスペインなどとの国際貿易を通じて、東アジアの経済発展に大きく貢献しました。この国際的な影響力も評価の対象となりました。
    • 石見銀山の銀は、特にアジアの交易における基軸通貨のような役割を果たした時期もあり、その経済的な重要性は非常に高かったとされています。

これらの点が評価され、「鉱山と港をつなぐ独特の文化的景観」として、世界遺産に登録されました。大森地区は、その文化的景観を構成する重要な要素の一つとして、当時の人々の暮らしや文化を今に伝える貴重な場所となっています。